Family

「つちもち」姓の由来 祖父、柏木 登
土持一族の興亡 製茶技術確立に貢献

 

 

■ 土持一族の興亡

土持一族は豊前の宇佐八幡宮の神職であった田部氏から派生し平安の前期に日向に定着しました。土持の姓は 宇佐宮の社殿を造営したときに、いくども崩れて工事が進まない社屋の土台を直亥宿弥という人が衣の袖で土を運んで築いたところ壊れなかったことから朝廷から賜ったとされています。日向進出後は土地開発や今山八幡宮(延岡)の創建に貢献し現地の管理を担当しました。豪族として勢力を伸ばし平安時代には日向 を支配する氏族として繁栄し、鎌倉時代には地頭職を得て武士団として成長しました。南北朝時代には武家方にたって伊東一族と勢力を競いました。伊東氏の日向脱出後、大友氏と島津氏の戦いに巻き込まれ、島津氏との連合を組みましたが大友氏へ豊臣秀吉の大軍が介入し戦国領主として築いてきた大名としての地位、身分を失いました。土持一族は千年の時の流れの中で日向の歴史を動かしてきたのでした。

参考文献:「日向戦国史 土持一族の光芒」荒木 栄司著 熊本出版文化会館

Index


■ 製茶技術確立に貢献

柏木氏に輝く農林大臣賞

柏木 登
柏 木 登 氏

県農業試験場川南分場長柏木登氏(五二)=児湯郡川南町=は輸出向けかまいり製茶法の確立に尽くした功績でわが国農業技術者最高の栄誉といわれる農業技術功労者表彰と農林大臣賞を受けることになり十五日農林省農業技術研究所で表彰式がある。同表彰は昭和十九年からはじめられ現在県内では県農試験場の土持綱男氏が福岡県二日市農業改良実験所長当時の去る二十五年菜種の品種の改良で、同試験場図書室勤務の松永高元氏が沖縄県農試当時の去る十九年かんしょの品種改良で受賞している。
柏木氏は大正十一年県立宮崎農学校卒業後三十余年間鹿児島、長崎、宮崎三県で茶業行政、茶業に関する試験研究につとめ昭和七年長崎県駐在当時からかまいり機械の改良とかまいり茶の製造法について試験研究をはじめその製造法を確立、現在もっとも普及し性能の秀れた長崎型かまいり機械考案のヒントを得た。この機械の発明でこれまで九州山間部で自家用程度に手製として行われていた手いり茶も進み輸出茶としての重要な位置を占めるようになった。全国製茶評会かまいり茶部門の審査にも永年当り、製茶技術の発展向上に尽くした功績が認められたもの。

Index




|
HOME | CAR | JAZZ | Electronic Life | AMIREBA CLUB | 50cc | Family |